手放したい想い~【お返事レター】その苦しみの感受性、本当にあなたのもの?~

 

自分の強すぎる感受性に悩んでいる人は、それを変えたいと思いつつ、一生そんな自分から解放されない気がしてなりません。

そこまで頑なに感受性に苦しもうとするのは、ひょっとしたら そんな自分でなければならない(そんな自分が一番美しい)と思いこんでいるのかもしれません。

時々感じるのです。本質的には、感受性に悩むような魂ではないのに…。

お名前からそれを感じ取る場合もありますし、お話しされている姿、感じ取る前世の姿からそれを感じ取る場合もあります。今回のご質問を下さった彼女も、以前から、全くその波動を感じ取ることはありませんでした。むしろ、恐れを知らず、無邪気に天真爛漫に自分が愛される喜びを知っている魂です。

そんな魂が、その無邪気さゆえに、敏感な魂に傷つけられることもあります。けれど、彼女のような純真無垢で、夢を叶えることを全面的に応援されている魂は、今まで自分に苦しみを与えてきた敏感な魂に対し、怒りや怨みをもつこともありません。なんだ!そうだったんだ!という捉え方が出来るのです。夢や役割を大きく叶えるために必要な性質を与えられるためにその苦しみがあったからです。それにすぐ気付けるのです。けれど、彼女の様に気付けるはずの魂が、感受性をぶつけてきた相手に怒り続けることもあります。それは、自分の夢や役割に気付きたくないからかもしれませんね。

感受性が強すぎる魂も苦しみますが、その魂と関わる魂も、振り回され、不安にさせられるのです。

しかし、双方で”わたしを傷つけないで!”と怖がっているより、その怖れを飲み込みエネルギーとし、お互いの良き気付きで魂を磨きあげるためにそれがあるという想いを持てるように、その感受性を生かしたり、感受性を受け取る敏感さを生かせば、苦しんだ道のりは苦しみだけの記憶に終わりません。どちら片方が気付けば、相手の魂の経験も記憶も、良き学びにしてあげられるのです。

感受性が強い人は案外わかっていません、感受性が強いことで反応し、びくついている姿が、とても滑稽でユーモアにあふれ、ある意味どんな人よりも強い(図太い)んじゃないの?って思われていることに。それと関われる人も、同じく、苦しさをユーモラスに受け取れる包容力がある。

感受性をわたしも乗り越えつつありますが、それを乗り越えたら、今までの感受性は本当に自分が最初から持っていたものだったのかと思うほどに、図太さとか、開き直りとか、自分の弱さにも(他人の弱さにも)噛みつく強さ?にもなる。どちらにせよ、自分も周りも巻き込んでの”学び”としながら生きる道しか、なさそうなのである。

 

きっと、あなたもそうでしょ。

 

 

いつも、メッセージの共有をさせていただき、感謝しております。 

 


【ご質問】

私は感受性が強く、エネルギー的にも影響を受け易いのですが、何故そうなのかが分からず、ずっと悩みの種になっています。感受性というのは、人と比較できないので、あくまでも主観なのですが、平均よりも強いように思います。また、思っていることを言葉にしたり、人とのコミュニケーションが苦手で、それにより自己肯定感が低いです。せめて、何故そうなのか、理由が分かれば納得できるかもしれないと思い、質問させて頂きました。


 

 

【お返事レター】

あなたが長年感じ取っている感受性の正体は、あなたの周りにいる感受性の強すぎる人たちのエネルギーや波動、感情です。

あなた自身の魂は、自分自身の苦しみとなる感受性は持ってはおらず、自分自身の感受性を乗り越える学びを味わうようなことはありません。

あなたは生まれた時から、とても感受性が強すぎ苦しんでいる人と一緒にいます。
しかし、あなたは、その感受性から生まれた自分の感情をどこかで『何故?』と感じていたはずです。しかし、周りにいる感受性の強い人の反応は、あなたが感受性に疑問を持ちお気楽に生きようとすれば、『何故それに気付かないの?』『何故それを感じないのか?』『無神経なのか?』『楽観的すぎやしないか?』と不快感を表しているようにあなたには見えたのです。それは、あなたにとっては自分の良さを否定されたようで、とてもショックなことであり、傷つくことでした。

その影響で、あなたは自分が元々感じてはいなかったことにもひどく敏感になり、“感受性が強すぎるために他へ不要なエネルギーを発する人”に敏感になってしまったのです。

あなたは、自分が、元々感受性が強すぎて、鋭敏すぎて、エネルギー的に影響を受けやすい性質ではないことに気付かなくてはなりません。

思ったことを口に出来なくなったのは、感受性の強い人から、また、『無神経』『能天気』だと思われ言われそうな波動を感じ取って、自分の前向きさや自信や可能性を全て潰されたくはないからです。

あなたは、真に自己肯定感が低いのではなく、自分が自己肯定をすると、感受性が強く、時に謙虚すぎて自己肯定感が低いことを良しとしたい人たちに、また、『無神経』で『能天気』で『人を傷付ける人』に感じ取られ、自分の開花し始めたばかりの才能を自分で『すごい才能』だと思っていることを見つけられては蔑まれ、夢を壊されてしまうのではないかと感じ、自分が本当に持っている自己肯定の強さを隠そうとしたのです。

しかし、本来自己肯定感が強いあなたが、自己肯定感が低く感受性の高い人と縁を持って傷ついたことにも意味があり、このことから、あなたのさらなる発展を導くことが出来るのです。

あなたは確かに、自分のほんの小さな才能でも見つければ有頂天になり、さらに才能を強化していく強さを持ちます。しかし、時に根拠のない自信が過信になれば、自分の才能にご機嫌だった自分が、無知さゆえに、もっと大きな才能や可能性を見せつけられることがあれば、自分が一番と感じていた才能や希望が、再起不能になるほど折られる可能性があるのです。

それを食い止めるためにも、あなたは魂の根底に自信と自己肯定を持ちながら、これが『無神経さ』や『能天気さ』や『無知』や『勘違い』へと転んでしまわぬように配慮されたといっても良いでしょう。

それは、あなたが、自分の可能性と夢の実現を確実にさせたいからなのです。

あなたは、今まで自分が悩んできた感受性のしくみを知ることで、自分が感受性に負けぬ強い自信と自己肯定感を持っていると想いださなくてはなりません。

それはつまり、あなたが本格的に夢の実現へと動くことを意味します。

あなたにとっての夢の実現とは、あなたが本当にしたいことをし、行きたい場所に行くことですが、それは、魂が学びを終え、バランスを整えたことを感受性が同じ人たちの元で確認し、喜ぶ作業でもあるのです。

あなたは、このまま、自分自身が感受性が強くて負荷を抱え動きにくいと信じ込んで、夢を諦められるでしょうか?

あなたが夢を叶えない言い訳となるものをどんどん消しているのは、あなた自身であることに気付いてください。

 

 

椋木和美

 

 

  • 2014年10月07日 22:10 / Comment(0)

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