世の中の悪が勢力を失わない理由は?

今、目の前にある現象、目の前に見ている人…

何故 こんな酷いことが起きてるの?
何故 こんな人が、お金をもっていて幸せそうにしてるの??
何故 こんなに良い人が、こんなことになってしまうの??
何故 なぜ???

今、私たちが見ている、”悪”に染まった 人・組織・現象は、
本当に力をもって、お金があることで幸せで、悪の所業による大いなる繁栄は
天罰を避けられてる?

そして、今の自分をみて、今自分が愛する人をみて、こんなに”愛”があるのに、
力がなくて、お金がなくて、天から恵みがない??

いいえ。もし、そう思うのなら、
それは、まだ ”悪”に対抗する力を私たちが奮い立たせていないから。

だから、精神世界の教えは、私たちを救ってくれるようで、
落とし穴を用意しているの。

”受け入れなさい” ”許しなさい” ”闘うことを止めなさい”

これはね、”悪”に対して行うものではないのです。
”悪を受け入れ” ”悪を許し” ”悪と闘わない”
つまり、何にも疑問を持たず、何にも歯向かわず、何にも愛をもって受け入れ容認する
ではないのです。

”受け入れなさい” ”許しなさい” ”闘うことを止めなさい”

それは、絶えず自分に向けて行うもの。
”自分を受け入れ” ”自分を許し” ”自分と闘わない”

それをしはじめたら 必ず気付く。

目の前で疑問に思いみている 個人の繁栄、組織の繁栄、悪の繁栄、悪の勢力は、
真実の繁栄でも、真実の勢力でもない。

それは、ちっとも羨ましくもないものたち。ちっとも私たちを脅かさないものたち。

悪に取り込まれた人や組織から出る繁栄は、自慢であり、傲慢であり、嫌味であり、
強烈な劣等感による不自然なアピール。
こんなものに私たちが思う、美しさも、憧れも、幸福なんてものは ない。

私たちは、何に遠慮して、自己の繁栄と力を持つことを 避けているのか?
私たちが納得できない”悪”に力を持たせておくため?

悪が一生懸命に、理不尽なる繁栄を自慢して、嘘で真実を捻じ曲げて、
私たちにアピールしている。

いったい、いつになったら お前たちは 動くんだ!?お前らアホか?と。
これこそ”悪”が”神”である証拠。


悪がはびこる 全ての原因は、私たちが遠慮し、利口になろうとし、
謙虚さをはき違え、飛躍すること・活躍することを冷酷な悪に身を売ることだと恐れ、
自分が思いきり動けないことの言い訳にしているから。

私たちの怒りが大きければ大きいほど、私たちは、表に出て、
やつら偽物をつぶしにかからなくてはならない。
それは、いつしか気が付く。闘っている”悪”が、私自身の劣等感・弱さ・言い訳だと。

わたしたちは、悪を見ているけれど、悪と同じところにいないから、闘っているつもりでも、それはいつの間にか 自分との闘いになっている。

ということは、私たちが、闘うことに躊躇して、挑戦することに躊躇していても、それは、闘うことの恐れではなく、自分の実力のなさをみるのが怖いだけ。

わたしは、わたししかいない世界で、一生懸命に 相手がいると思って 悶々としている。

『錯覚よ…。』

あなたも そう、あなたの世界には、あなたしかいない。誰も脅威を与えない。自分に脅威を与えているのは、自分だけ。


自分の世界を、生きよう!

動こう!

動け!

わたし!

 

Kazumi Mukunoki

  • 2012年12月03日 23:23 / Comment(5)

コメントありがとうございます

佐藤 泰

悪にはそれ以上の悪をもってぶちのめす(笑)

私は救いようのない悪には死をもって償ってもらうしかないと思うのです。

(釈迦の教えは感謝だった)で小林正観がありとあらゆるものに感謝して受け入れる事が神様が味方する生き方であるとうたっているが何でも感謝していいればよいと言うわけでない のです。

小林正観に限らずオウムをはじめ新興宗教では、「感謝」を強く推奨し、重要な教義としている団体が多いです。  不満ばかり言っていないで、現状を受け入れ感謝する。

例えば家族の一人が兇悪犯罪の犠牲になり死亡した場合でも、犠牲者が一人で良かった。神様ありがとうと と無理やり感謝するようになります。

ありとあらゆるものに感謝せよ(受け入れなさい。 すべてを許しなさい)という教義は明らかに不幸な状態でも
良い点を無理やり見つけ出して感謝し、一方で、悪い点は見ないで無視するような事であり問題は少しも解決しないのであります。

極端なはなし北朝鮮から核爆弾を打ち込まれても感謝し喜んで受け入れるとしたら、それはもう危険な事であります。

であるから悪から何か少しでも攻撃されたら (ワレ!なにさらすんじゃ!ボケ!)と思いっきり反抗する勇気が必要であると思います。

  • 2012年12月04日 15:14:52

石川孝恵

↑↑
ワレ!なにさらすんじゃ!ボケ!
あ~ めっちゃ気持ちいい[笑い][笑い]
なんでだろう♪なんでだろう♪[あはは]

意味ないけど。。。でもはまっちゃいました[えへへ][えへへ]
自分に納得いかない悪には。。。何の遠慮もなく。。。叫べば
いい[びっくり]
かっこつけることないんだよね。

  • 2012年12月04日 15:50:24

Kazumi

codein4さま ありがとうございます。悪と対峙して、気持ちの立て直しをするときに、本人が、いろんな思いを感じきった後に自発的に”許す”ことに意義があるのでしょうが、誰かに言われて”許しなさい”ってなると、言われた相手の愛だとか、人間性とかによっては、言われたことによって更なる苦しみを与えられますよね。

よって、わたくしも、悪から何か少しでも攻撃されたら 【ワレ!なにしてけつかるんじゃ!ボケ![怒り]】的な強さでもって、闘います[ハート]

  • 2012年12月04日 19:51:57

佐藤 泰

和美様
【ワレ!なにしてけつかるんじゃ!ボケ!】って悪に対する効果ある素晴らしい反撃のお言葉だと思います。(笑)

私もこれから天国言葉として使わせて頂きます 。

  • 2012年12月04日 22:28:32

Kazumi

ありがとうございます[えへへ]

  • 2012年12月05日 20:20:07

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