お返事レター② 目覚めをわざと遅らせる強者=スピリチュアルな野心家!!

前回の続き)

胸が苦しくなる切なさを探し続けている彼女、じれったくなるほどロマンチストな彼女は、ちょっとやそっとでは目覚めの道へと足を踏み入れることはありません。

「畏れ多くてそこにはわたくしのようなものは立ち入ることができませぬ」と。

 

「もっと身を清めてから、そこへ向かいたいのです」と。「それは礼儀でありますから」と。

 

それは、霊的な道、覚醒の道、高次の世界への、深過ぎるほどの敬意でもあるように見えますが、それに縛られているような、そうせざるをえない前世の何かしらの経験や記憶があるようにも見えます。きっと、そうあれと指導者たちに抑えつけられたのでしょう。

 

前回ご紹介したメッセージレターを彼女に降ろしたとき、その続きの部分にどのような言葉が宙に浮いていたかといいますと…

 

『その切なさに没頭するだけが、あなたの才能だとお思いですか?』という、これはもはやわたし自身の想いです

 

『もうとっくに、別の体験もできたちゃうあなたですよ!』と、そう言いたかったのです。

 

もし、このメッセージを降ろしたすぐあとにブログ掲載と解説をつけたら、きっと彼女は、それで満足してそこにまた居続けるだろうと感じたのです。

 

わたしがブログに共有許可をいただいたメッセージをすぐに載せないのは、もちろん解説を書く時間がとれないことも理由のひとつではありますが、そのメッセージを長くかみしめることによって、メッセージは意味と作用と効果と導きを膨らませてゆくものだからです。

 

わたしは待ちます。わたした彼女が本当に目覚めを起こす道へと歩みを進めるまで。

 

彼女はブログの更新と解説を待ってくれている間も、目の前の問題を膨らませて、問題の数も負担も、感情のうごめきも、もうマックスになってゆくように見えていました。何度、彼女のブログを読んでメールを送ろうかと思ったことか。そんなわたしの感情移入のエネルギーを受け取ってしまえば、彼女は余計に苦しくなるだろうということも解っていましたが、そう関わるしかできなかったのです。

 

彼女は、霊的な目覚めに対して非常に謙虚で、そしてその世界に対する畏敬の念も持ちすぎているくらいにあります。

 

しかし、それだけではないのです。彼女は、自分自身の霊的な目覚めとその能力に対する絶対的な自信を持ってもいるのです。

 

これがあるから、そもそも厄介な現実を創り出してしまうのです。

 

霊的な目覚めを起こしたい、それを決めている。そして、それができる自分だと確信もしているのです。

 

もう、目覚めを起こすような現実を引き寄せ創り上げてしまうに、決まっているではありませんか。

 

けれども、いざ待ちに待った目覚めのきっかけが目の前に来てくれたときに、『なんであたしだけがこんな目に遭うのかしら』と苦悩し我慢をする自分を演じてしまうのです。

 

わたしは思わず、『なにやってんだー、そうじゃないでしょう!!』と前世の友を励ましている気持ちになるのです。

 

わたしたちが手にしているすべての苦悩と感じる現実は、わたしたち自身が創り出したもの。スピリチュアルな才能開花へと導くもの。すべての問題、その解決方法に、その鍵はあります。

 

へたっている場合ではない。その逃げ方、違う!

 

彼女がいつも抑え込んでしまう、その怒りを吐き出すことで、彼が遥か昔の前世から魂にため込んできた”愛ゆえの怒り”は本当の意味で昇華され、彼女は整い、彼女らしさは磨かれ、彼女の魂に眠っている智慧は掘り起こされて、解決を体験した彼女は目覚めを起こすのです。

 

わたしは彼女に言います。『スピリチュアルな道を歩んで、そういうお仕事や役割を何かしたいんでしょ。それは前世から言っていたじゃない。わたしを応援するだけじゃなくて今世こそ自分もやってよね。あなたができるのに歯がゆいくらいに遠慮してその道に行こうとしないから、だからわたしは”なんでだ!!”と怒って、いまここに導かれているのです。』と。

 

今世でも、どんなに自信を持て余してぐずついてその智慧を使うことを躊躇しても、わたしへ繋がってくれて、”どうしよう、自分の厄介さ…”と問うてくれるなら、いくらでも待ちます。いくらでもサポートします。お互いにおばあちゃんになったときにやっとスピリチュアルな役割を果たすことになっても、それはわたしの今世でのこの上ない喜びの体験のひとつとして、わたしをさらに高次の世界へとあなたが導いてくれることとなる

 

この記事をきっかけにセミナーの再開でつながってくれた彼女。日々抱えていることに疲れ果てて、放り投げたい責任と役割は消えてもくれない。対策を考えれ詰んでいるようにも思える。きっと、身も心もヘトヘトになっているでしょう。けれども、高次の世界と絶対に繋がろう!と覚悟を決めている彼女だとわたしには見えています。

 

セミナーでは、とても具体的に、細かに、アドバイスをしてゆく予定です。それはきっと、時間のかかる取り組みでしょう。彼女にとって愛とは何か。それを見つけることがセミナーのテーマとなりそうです。それは彼女にとって、今後のスピリチュアルな存在としての在り方を決める課題なのです。目の前の人々を導く術を模索することが、彼女自身という最も手強いクライアントを導くこととなるのです。このようなスピリチュアルな仕組みは、霊的な仕事をする魂には、必ずと言っていいほど起きることなのです。

そして、必ずと言っていいほど、大きく目覚める直前は、「あたしの問題じゃない!!あんたたちの問題だ!!!なんでわたしが命を削ってまでそれをフォローして責められなくてはならないのよ!!!!」とブチ切れる寸前に身を置くこととなるのです。

 

やっと切れる??それともまた、いい子になって、賢さを装って、まあるく自分のなかでおさめてしまう??

 

自分の問題を自分では解決できない魂を担当させられて、結局、助けるしか道はなくて、助けるときには大きな愛を包んで結びつける。それをしなくてはならないのです。

 

尚且つ!犠牲的ではなく、ナルシストになるのではなく、「カッカッカッ笑」と笑って、すがすがしい気持ちでそれをできるようになる。

 

それが、わたしたちの新しい世界での、新しい生き方なのだから。

 

わたしの見ている世界、わたしの行こうとする世界。

繋がって一緒に見たいと意思表示をしてくれれば、わたしはそれを渡すことができます。繋がらず、意思表示をしてくれなければ、わたしはそれを渡すことはできないのです。そういう領域(スピリチュアルな秘儀を渡す領域)にいま、わたしは身をおいています。

 

彼女とともにどこを歩むのか。それは、軽やかな新しい世界へ進めるように、互いに背負った前世のつらい思いをともに浄化させ、互いに病んだ同じ病気を気遣い、身体を整える。そのために、息子さんの身体の症状はあります。彼はわたしたちのこころと体を、どこに向かわせればよいか導いてくれるでしょう。

 

これから、人類の目覚めのために、こころと身体をどう整えるか。それは大きなテーマになります。

 

何を食べるのか。何を食べないのか。 

何にふれ、何にかかわり、何に思いをはせ、何を考え、何を信じ、何を選択するのか。

からだをどう動かすのか。からだに何を与えるのか。からだをどう頼るのか。

それはそのまま、”あなたはどう生きるのか。”に繋がります。

 

どのように意識と身体を変容させ、わたしたちは自分の道を見つけるのか。

 

身体はわたしたちの意識を導きます。

 

不調や病を抱えるということは、そのことに深く気づかされるということです。

 

 

目覚めを避け続け、後回しにしようとする。しかし、目覚めを棚上げすれば、課題はハードルを上げて難しさとややこしさをましてゆきます。つまり、目覚めは大きくなるということです。

 

目覚めは、あなたを決して見捨てません。

 

未来の目覚めは、つまり、高次のあなた。導き手はあなたです。

 

明日から彼女のセミナーが始まります。わたしたちの成長と気づきのエネルギーを、どうぞ感じとっていただければと思います。

 

椋木和美

 

 

 

 

 

  • 2023年06月12日 23:33 / Comment(0)

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