オリンピックの様々な問題は序章にすぎない

人生経験を積むと、良くないことが起きるとき、何かしらの前兆があることに気付くようになります。
 
この道を辿れば幸せがくる!そう思い浮足立って突き進んでいると、小さな問題からドキッとするような出来事までご丁寧にばらまかれ、なにかがおかしいぞ…と足を止められ考えさせてもらえます。
 
『君、このままぽや~んと生きていたら、いつか大きな問題が起きてしまうよ』と、まるで誰かが自分の一部始終を見ていて知らせてくれているように、向き合う現象に違和感を持たざるを得ない出来事が次々と起き始めるのです。
 
こういったことが起きる場合は大概、いつもとは違う考え方や行動に突っ走っているときです。欲にまみれていたり、ウカレポンチになっていたり、ひどく欝々と悲劇のヒロインになっていたり現実逃避しているときでもあり、感情も情緒も不安定なのです。
 
そこで小さな問題はばらかまれ、いま歩もうとしている道(思考や行動)の先に行かないように仕向けてもらえるのです。けれども、このような、ちょっとおかしくなっている時というのは、小さな問題への違和感を気のせいだと思いやすく、深く考えず、次々に問題が起きても、障害物を器用に避け(ていると思いこみ)、その道を歩むことに懸命になるのです。
 
これは自分の発展を邪魔する抵抗だ!と少々ムキになり始めるのです。
 
そうなってしまう理由のひとつは、自分の道の先に見えた未来を一度、”光り輝く新しい未来!!”と感じてしまったからなのです。それは、その未来が自分にとって都合よく心地よいからです。
 
初めてみた輝く未来、そのような眩しい未来に慣れていない人たちは、その光にたどり着けば自分の人生は劇的に良くなると信じ、その光にすがり始めます。確かに、一見それらは希望を感じせる興奮や至福感をもたらしてくれるのです。興奮や期待や楽しさは、正しい感覚で目の前のことを見られなくさせてしまいます。
 
ですから、輝く未来に向かう途中で感じたモヤモヤした気持ち、ザワザワした違和感を、消そうと努力してしまうのです。
 
小さな問題を、見過ごしやり過ごした突っ走った人々は、結果的に、(何かに守られているがゆえに)大きな大きな問題へと巻き込まれてゆくこととなります。
 
そして、大きな問題に飲み込まれ限界を超えた人々は、自浄作用でもって目覚めるか、若しくは、その余力がなく悪あがきをし、すべては誰かのせいだ!という意識へと堕ちてゆくことになるのです。
 
しかし、怖れることも憐れむこともありません。すべてはあいつのせいだ!という意識へと堕ちてゆくことは、もっと大きな問題を巻き起こしますので、最終的には自分をどうにかするしかない最悪の状況を抱えることとなります。どんなに堕ちても気付かされ、めでたしめでたしなのですから。まあ、それが今世中に出来ればラッキーですが、来世に持ちこせばそれはそれで難儀しますけれどね。
 
いつものごとく、前置きが長いのですが、このしくみと東京オリンピックについて絡めて考えてゆきたいと思います。
この度の東京オリンピックに関しては、『お・も・て・な・し』の異様な浮かれ具合に違和感を感じながら、耳を疑うような様々な問題が浮上し、開催直前までそれは続いています。
 
このような問題が、例えばあなたの人間関係で起きたとしたなら、賢明なあなたであればとっくに対処しているはずなのです。ひとつひとつの違和感にずっと気付きながらも、見えないふりをし、自分の責任を回避することに奔走する。小手先の対処をしやり過ごし、問題はもう起きないとばかりに悠然と構えて間違った未来に目を向けている人たち(エネルギー、意識、現象)をわたしたちはただ見ているのです。
 
これに対して声を上げている人たちがいます。これは、そういう役目を持ったひとたちが起き上がり、目覚めるのですから、とても良いことです。
 
ここで似非スピリチュアルな”真理”をもってきて、怒っちゃだめ、穏やかにすべてを受け入れるのよ、そんなエネルギーに関わりたくはない!なんて甘っちょろいことを言っている人は、耳心地のよいスピリチュアルなサイトやYouTubeに今すぐすっ飛んでください。
 
怒るべきことがあり、動くべき人がいて、それを支える人たちいま目覚め始めているのです。
 
オリンピックの様々な問題は、序章に過ぎません。オリンピック中も問題は続発するでしょう。もう、みてはいられないほどに痛々しく、嘘っぽく、お粗末で本物ではない…。それでも平然と間違った道を歩み続ける厚顔無恥なひとたちがいて、それを見てわたしたちは変容できます。
 
オリンピックが終わればもう問題は起こりようがない、なんて甘すぎるのです。どんなに一定の人たちが前向きな意識や言葉、祈りで捧げていても、やはりわたしたちが変容するためには毒だしである大問題は必要なのです。
 
さて、では、わたしたちは何をすべきなのか。
 
まずは、様々な問題は必要があって起きると知ること。それらはわたしたちの大転換のために序章にすぎないと知ること。つまり、これから(東京オリンピック中、そして開催後に)大きな問題がわたしたちの目の前に現れることを知っておくこと。
 
もう、目を背けないこと。それがわたしたち魂のしたいことであり、すべきことです。
 
あなたの目の前に、どのような問題が起きたとしても、感情的にならないこと。
 
起きた問題に対症療法的に対処し、問題を切り捨ててゆく、こんな小手先の対応で、大きな問題は起きることなく消えてゆくでしょうか。消えてくれるはずもありません。これらの問題が噴出した時点ですでに大問題に移行しはじめているのですから。その根底にある問題を根本的に解決しようと動かしてゆかなければ、”わたしたち”の問題はオリンピックを皮切りに(オリンピック後に加速して)、コロナ禍であろうが容赦なく噴出しはじめ、わたしたちの間違いを指摘されてしまうでしょう。
 
結果的には、意識と行動の大転換が起きます。
 
お知らせ(大問題)を小さくさせるには、小さな問題の時点で気付くこと、つまり、嫌なことから目を背けないこと。そして、問題を解決させるために行動(意識)を変えること。
 
つまり、強制的に手痛く転換させられる前に、まずは問題を目にするたびにわたしたちが、冷静になってゆけばよいのです。
 
あなたももう経験済みですから知っているはずです。焦っても問題は良い方向にはいかないこと、そして、冷静になっても問題は悪化しないこと、これだけは確定しています。
 
(続きで補足を書きますね。)
 
 
椋木和美
 
  • 2021年07月23日 22:20 / Comment(0)

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