大きな可能性に押し潰されそうなあなた!に起きている大きな変容

 いま、多くの人の意識のなかに、大きな意識の変化が訪れています。カウンセリングなどでお話をしていると、その自覚がない方が多いように思いますが、彼らの意識のなかに生まれている新しい視点や想いについてご説明をすると、彼らはすぐにハッとしてくれます。
 
 ああ、わたしの中にあるこの感覚は、それだったのか…そうすぐに自分の意識のなかに入り込むように、純粋な想いで”じぶん”を慈しむように見つめながらお話ししてくれます。
 
 今日のスピリチュアルメッセージレターの共有を提供してくれる彼女とは、長いお付き合いをさせてもらっています。わたしが病気になったときも、とても細やかな気遣いや優しい言葉をくださって、それはもちろん彼女の繊細さと情の深さからなのですが、それに加えて(彼女のご家族を含めて)わたしたちのご縁が強く結びついているからだとも感じております。お若いながらも真の強さを持っていて、母親としての彼女はもちろんですが、その強さのオーラを持った存在感、家系としての強い人類愛は、いつも頼もいエネルギーです。
 
 一見、年齢も違い共通する要素などなさそうな”わたしたち”ですが、毎回、彼女へのスピリチュアルなメッセージには過去と現在のわたしが深く共有をさせてもらうのです。
 
 彼女の外側に見えるキリリとした強さ、芯の強さについては、いつも周りからそう見られ、彼女もそれを自負しながらも、そんな強くてキリリとしていて、未来に(いい意味で)何かしでかしそうな自分をほとほと、本当ほとほと持て余しているのです…。
 
 根拠が定かではない自信に支えられながらもそれに絶えず振り回され、自信がなくなりやる気もなくなるくせに『特別になりそうな自分、そうなりたい自分』を諦めきれない。けれども、それは我が強いとか自信家と言うことではないことも感覚的に良く理解できてしまえるから、なおさら、厄介なのです。魂の記憶として、スピリチュアルな野心として、『特別になりそうな自分、そうなりたい自分』それこそが『自他ともに扱いにくくもてあまし気味なわたし』が唯一、生かされる場所であるということを、今の彼女も、そして、そこのあなたも、過去のわたしも、真実として記憶しているのです。
 
 そうなると、スピリチュアルな役割としての自分を見つけることを一時も休ませてもらえないのです。これがどんなにきついことか、わたしなら解ります。そこのあなたにも解ることでしょう。そのような部分をいつも共有させてもらっているのだと思うのです。今回の彼女へのメッセージも、いま多くの魂が叫んでいる意識として漠然とエネルギーとして感じていたものです。彼女のご依頼を受け、それを言葉にすることが出来たことに感謝です。
 
 彼女のように大きな愛を持つ、スターシード、ライトワーカー、様々な呼び名の”わたしたち”はきっと、彼女のようにスピリチュアルな役割に、スピリチュアルな想いを持つことに、疲れ切っていることでしょう。彼女のメッセージを通しわたしたちをひとつに繋げ、彼女と一体となり、大きな可能性として光り輝かせたいと感じております。
 
 【ゆっくりあせらず前進していることを信じて】【いまあなたが在りたいようにしている、それがベストな在り方だと知って】という言葉を付け添えて、彼女を通しあなたへとエネルギーをお渡しするようメッセージに込めています。
 
 いま世の中を見渡し、自分とは違う動きをしている人たちを見ても、焦る必要はありません。わたしたちは、わたしたちのペースと直感で、すべきことを得意な方法できちんと行っています。あなたが知りたいあなたの変容は、彼女のメッセージにしたためています。わたしたちの共有が、きっと、彼女のさらなる勇気と強さになることでしょう。わたしたちはつねにひとつです。あなたの想いでわたしたちは、助けられ導かれています。
 
 
 
 
 
 
 
 以前より寄付というかたちでわたしを通し”わたしたち”を応援し支えてくださる師である魂に、その愛に感謝しています。
 
 今日もカウンセリングでたくさんの気付きや勇気を共有させていただきました。繋がるすべての魂に感謝です。
 
 あなたの想い、あなたの秘められた感情、それらを言葉にしエネルギーにしお渡しできる奇跡を感じることが、わたしの元気の源となります。そして、今日このメッセージを共有させてくれる光り輝く彼女に、”わたしたち”を癒してくれてありがとうと伝えたいです。
 
 いつもいつも、ありがとうございます。
 
 和美
 
 
 

 
 
~あなたへのメッセージレター~
 
 
いま、あなたのなかに、静けさが生まれています。
 
その静けさは、諦めの境地のように、淋しさやふてくされたあなたを感じさせもします。
 
あなたは自分の求める、心地よく、尚且つ、わくわくする生き方をそこに見出しています。
 
あなたは自分が野心家であると知っています。自分が簡単には平凡な人生を選びきれず、その歩みに穏やかさを感じつつも、満足しきれず悔いが残ることをわかっているのです。
 
そんなあなたがたどり着いた静けさとは、時代の流れを理由に仕方なく求められる自分の在り方として納得した、場所であり生き方です。
 
あなたは、自分の人生としての静けさということだけではなく、むしろ世の中全体としてたどり着いているこの静かな場所と静かな生き方に、「皆がそうであれば致し方ない」と感じることが出来ました。
 
「みんながここに観念しているのであれば、わたしもそれを認め許容しつつ、皆よりもその生き方を楽しみ充実させて見せよう」と意気込むことが出来ているのです。
 
静けさのなかで存在しなければならないという状況にあなたは、いずれ来るであろう穏やかに生きなければ精神的に参るであろう自分をうまく重ねてゆき、自分のせいではなく、世の中のせいで穏やかな人生を選ばなくてはならなくなったとわだかまりを最小限して腹に落とし込むことが出来ているのです。
 
あなたは、周りの人たちが思うように動けなくなり、ストレスを抱えていることに、何故か安心をしている自分を感じることが出来るかもしれません。
 
あなたは、周りが元気がなく困っていると底力が湧いてきて、わたしが皆をひっぱってゆこう!と元気になるところがあります。逆に、周りが活気づいて突き進む勇気をもっていると、わたしなど必要とされないと拗ねて自信がなくなり引っ込んでしまうのです。
 
あなたは、この時代の流れにうまく自分を乗せてゆき自分を奮い立たせながら、自分の居心地の良い場所や在り方を掴み始めているのです。
 
いまのように、はっきりとは言い表せないような不確かな世の中であれば、わたしは不確かな可能性をぶら下げて、それでも何かに挑戦して、自分の個性を生かした生き方を手にしようと穏やかに希望を持てる。そういう歩み方が自分に合うと気付き始めたのです。
 
あなたが静けさを生んだのは、挑戦や自分らしさを意識してきた自分が持ち続けた、力みやプレッシャーや自信のなさから解放されてきたからです。
 
いまこのような世の中になったことで、それを見渡して、力んでも仕方がないと思えることができ、プレッシャーを感じなくて済むような心もちになれたのです。
 
 
具体的にどうすればいいのか。何をすべきなのか、何を考えるべきなのか、何を思えばいいのか。あなたは静けさを手にしながらも、いつも通りにそれを感じ取りたいことでしょう。しかし、過去と同じことを静けさの中で感じても、あなたは不思議とそれに焦りを感じなくなってゆきます。
 
ただ何を考えるべきなのか、何を思えばいいのか、何をすべきなのかこれまでのように考えながら、それを考えることが出来るゆとりと状況を与えられていることに至福感を得て、静かにワクワクしながらひたすら想いを巡らすことです。
 
あなたが思い描き、そして望んできたことの実現が、これまでどんなに考えても、一定した先の未来にしかとどまらなかったものが、徐々にいまのあなたとの距離を縮めてきています。
 
あなたは現実世界に様々な制限をかけられた、いま、自分のなすべきこと、ゆく道の制約を受け、漠然とした自分の可能性によって見えなかった自分の生き方を見つけやすくなっています。
 
あなたの制約を受けている現実のなかで、あなたが負担なく継続して出来ること、それが、あなたのなすべきこと、ゆく道なのです。
 
いまのあなたの制約によって出来なくなったこと、それは、あなたの未来像として削ってゆくものなのです。
 
あなたが出来なくなったこと、それは制約ではなく、あなたが必要ではないと淘汰し切り捨てたもの(価値観や役割)なのです。
 
さあ、選びやすく歩みやすくなったいまを、どうぞ満喫してください。あなたは足止めなどくらってはいません。あなたの自信に、背中を押されているのです。
 
 
 椋木和美
  • 2020年10月23日 22:55 / Comment(0)

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