病気とスピリチュアルな意味①

 意識の変容を起こさずにはおられないいま、あなたはどう過ごされていますか?

 意識の世界は凄まじい勢いで混雑し、混戦もしており、繊細さんは頭も肩もずしんと重くなっていることでしょう。

 現実の世界も大わらわ。世の中は新しい常識がどんどん勢いを増して創り出され、それに素早く乗ってゆきビジネスチャンスを得たり、YouTubeでつらつらとお話ししてみたり、表現者は新しい感性でこれまでにない解放を得て、それをじーっと見続けてフリーズして一日を過ごす人たち、デジタル化なんてわけがわからないわと生活を楽しみ自然や動物と触れ合う人々。そして、それらのすべてに心も身体も対応できず、確かな自分を感じられなくなる人たち…。

 

 久しぶりの記事ですので、(あえて)沈黙していた期間に感じてきた想いを言葉にしたいところですが、ずっと気になっていることを共有していただこうと思います。

 今日は、”病気”についてのお返事レターです。

 いま、病気まっただ中!の人にとっては、コロナって本当に弱った身体に追い打ちをかける、本当に要らない重みにもなるのです。もう半年も前のお返事レターのご依頼でしたが、そのときのことはよく覚えています。

 彼女の病気を知ったとき、ああ、わたしのせいだ、わたしのせいだと呟きました。何故、彼女にもこのような試練がくるのか、もう十分彼女は、前世も今世も苦しんだし、想いを飲み込み続けたし、そして立派に乗り越えてここまで来たというのに!そう”神様に”(とでも言っておきましょう)文句を言ってやりたくなったのです。

 彼女とはメッセージやメールセミナーでお付き合いは長く、何分ご縁を深く感じる人でしたので、本音や素の自分として申し訳なくその言葉を伝えました。それに対し彼女は「まずはメッセージを貰う事から始めます。私がどう転ぼうとも和美さんのせいではありません。今までの時間はとても感謝しています。メッセージは公開して大丈夫です。」そう言ってくれました。

「この病気をどう受け止めて行くべきか、どんな意味があるのか教えて貰いたい。」これが彼女からのご質問でした。

 病気については、これまでブログでは詳細は言っておりませんが、わたし自身が彼女と同じ病気になっています。それがあらわれた部位は違えど、同じ病気の仲間なのです。わたしがどのような治療を行い、どのように治療をお断りし、いまどのようにそれと向き合っているのか、ここで書き綴ることはしませんでしたが、お客様とその経験を共有できることはわたしにとって奇跡であり、喜びです。そして、それがいつしか役割や貢献や才能となることをどこかで願っています。

 先月、彼女は少しお休みをしていたセミナーを再開してくれて、その9月のセミナーが今日終わったところです。これから、個人的にもっと深いサポートといいましょうか、関わりを持ちたいと思っております。つまり、彼女の魂をすべてを理解できる(と自負しているぞ!)存在との密な対話が彼女には必要だ、という想いに至ったのです。

 病気からスピリチュアルな意味を見つける、そのような人に一人でも共有していただければ、彼女もわたくしも、喜びます!

 

 

 


 

 

~お返事レター~

 
 
誰にも決して立ち入れない孤独な世界を求めた。
 
そして、孤独であることに納得でき諦められる場所を求めた。
 
やり場のない怒り、
 
箸にも棒にもかからない自分自身の面倒さ、
 
あなたは人生に諦めを求めているのではありません。人生を諦めるしかない状況を使って、“どこにも落としどころのない自分の難しさがいつか晴れ晴れとした場所へたどり着く”という幻想を諦めたいのです。
 
誰もあなたを助けられない。
 
あなたは助けを必要としているようにみせ、本当の意味で助けてくれない誰かを責めたいだけ。そうしてただ甘えたいあなた。
 
助けを求めて応えてくれても、ああ、やはり自分の求めない助言や愛を渡されるだけだとがっかりしたいのだから。
 
あなただけ。
 
あなたを納得させるのはあなただけ。それをひしひしと感じるために、遠くから甘える。
 
けれどもあなたは、救ってほしいあなたを決して救えはしない。あなたは、ただ、あなたを納得させなくてはならないのです。
 
つまり、いまのあなたは、わかったふうに人生を諦めるのが答えではない。
 
あなたの厄介さを、晴れ晴れとした気持ちで諦めるのが答え。
 
人生を諦める、そんなことは、あなたには簡単。
 
自分の厄介さを諦めるほうが難しいにきまっている。
 
難しいことをクリアすることで、あなたは自分の厄介さを真に認め、真に扱えるようになる。
 
つまり、厄介な自分を生かすことしか納得がゆかないあなたの魂に、それをしなさいと道がついたのが、いま。
 
いまあなたには希望ある。
 
これは、はじまり。
 
病気になっても落ち込まず泣きわめかないのも当然。
 
それができているからといって、厄介なあなたは立派だと露程もおもわないでしょう。
 
あなたが、取り乱さない自分を強いと言われても何か違うと感じるのはそのせい。簡単なのだから立派でも、強くもない。
 
あなたは自分が孤独であることをひしひしと感じ、誰もわたしを救ってはくれないと嘆き、自分を慰め自分の厄介さを生かせない(生かしてくれない)怒りを鎮火させようとする。憐れどころか狂気の理由で。それはあなたの最大級の何かへの抗議であり反逆であり復讐。
 
今のあなたの現実は、異次元にあるあなたの現実のように【嘘】か【幻】かの【虚像】。
 
つまり、あなたが意識を取り戻せば、本当の現実があなたに取り戻せる。
 
嘘にまみれて、あなたは本物そっくりの虚像の“病”を用意した。
 
あなたはあなたの厄介さをどうしても取り扱えない。それを認めること。
 
しかしそれは、あなたの感性や才能が生かせないと言う意味ではない。あなたはすぐにそう言われたとごねる。それさえも戯れ。
 
あなたを生かせる道を真摯に尋ね、努力し、信じる気持ちを決して忘れなければ、必ず道がつく。しかし、それはいつも、あなたが求めるようにはやくはない。
 
あなたはその導きを辛抱して待てなかっただけ。そして、このような方法で変化を求めたのです。
 
病とは、あなたにとっては、刺激でしょう。
 
ぴりっとしたら、ちょっとは違う自分が出てくるのではないか、周りがビリビリっとしたら、これまでとは違う反応を示しそれによってわたしは化学反応を大きく起こし別物になれるのではないだろうか!
 
【すぐさま変身】するには、刺激だ!そう!危機的状況が目の前に必要だ!
 
 
厄介なことに、強固な強固な強固な自信は、周りへの甘えを生む。
 
強固な強固な強固な自分を、完全なる自分を信じる力に変換させなさい。完全なる正しい自信があれば、万が一、それに必要な実力がなかったとしても創れる。
 
単にこれを乗り越えるだけでは、だめ。さらりと受け身でやり過ごしては、だめ。そうしては、またあなたは同じ道を歩もうと戻るでしょう。
 
この経験を【超絶厄介な自分生かすためのヒントやチャンス】と考え、経験をしっかりとするのです。どの瞬間の意識も逐一分析しながら。潜在意識まで分析しながら。
 
決して、わかったふうにさらりと経験することはなりません。
 
あなたが自ら創り上げた虚像の世界を、女優のように演じ、けれどもリアルに経験する。それによってあなたは、いまの嘘を現実だとは身体に刻ませることは出来なくなるのです。
 
誰にも甘える気がない、
 
同調されたくもない、
 
自分が動きやすいようサポートしてほしくもない、
 
自分の本音に気付くこと。
自分の本質に気付くこと。
 
誰かに当たり、言い訳の一切きかない、すべてが自己責任の厳しい世界に突入するのです。
 
そうです、変身するための危機的状況は、すべてが厳しく辛くなくてはなりません。
 
ゆるゆるでリラックスして癒す。そんな時期は過ぎました。
 
すべては緊迫した状況。
誰のことも信じるな!自分の目でみて、自分の感覚で選択せよ。
 
何が良くて何が悪いか、身体は何を求め何を拒むか。何を喜び何を拒絶するか。あなたの超絶厄介な性質は、それを経験することは、一筋縄ではありません。
 
あなたにとっては、めくるめく夢の世界ではありませんか。
 
この経験を使って、自分が誰かを刺激する。
 
あなたはやっと、自分の仕事(役割)の方向性を見つけ、そして確かな道具を手にしたのです。
  
椋木和美
 
  • 2020年10月01日 21:24 / Comment(1)

コメントありがとうございます

Tome

私の今世での苦しみなど大した事ではないと思え
頑張ったと理解してもらえるだけで十分過ぎる程贅沢なんだと思います。
私で無くとも深く関わった人ならあなたのせいにするのはただの八つ当たりだと知っている事です。

それでもこうしてまた繋がった、それだけでも意味のあった事だと思えています。

  • 2020年10月03日 10:47:52

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