親子関係の浄化、からの、あなたの目覚め。

スピリチュアルな本を読み、スピリチュアルな人に触れれば、”親に感謝する、親を許す”それが完全なる浄化した姿のように囁かれ、諭されるのです。

許せないままだと、どこそこのガンになる。その想いを浄化しなければまた病気になる、魂はクリアにはなれない、そう何度も聞かされ読まされるのです。

けれども、わたしは、自分の家系の後始末をするために、親の愚行、親族の愚行を罵倒し、対抗し、抑えつけ、嫌われても厳しくすることを選んだのです。

そうしてわたしは、そう言い放たれ諭された言葉の通り、病気になったのでしょうか。

「そんなだからその病気になるんじゃないのか」と親にも言われる。

この家系の悪しきカルマを断つために、わたしは子供を持たなかったことを良かったと思う。そのような話をしたことはないけれども、きっと兄もそういう思いで子供を持たない生き方を選んだのだろうか。義姉もわたしの「自分のDNAを遺したくはない」という言葉に深く頷いてくれたことがある。この想いは中学生の時にはもう持っていたような記憶がある。

病気になるのはもうこりごり、そう思っても、わたしは、彼らを許し、優しくすることをしていない。

周りには理解できない家系のカルマの終わり方かもしれないが、これがわたしの現時点での終い方。

優しくしない自分を、肯定できる自分になれた。

どこかで感じる彼らへの感謝の気持ちを、あえて感じないようにする。それは自分の生きる気力を奪うような脱力感さえ感じさせるのだ。


わたしの近しい人には、親を許せない人が多い。

その状況のどれもが、外からはわからない、そうしてしまう理由がある。しかし、常識のある偉そうな年寄りは言う【お前もっと親に感謝しろ、親を大事にしろ】と。

横で聞いているわたしのその場での悔しさは、言われた本人以上かもしれない。

わたしはその言葉に激怒し言いかえさなかった相手に言う。

【和解なんてしなくてよい。大事にしなくてよい。絶対に自分を守って。その理由はわたしには解るから。】と。その悔しさや怒りを通り越した淋しさを、彼らはとっくに乗り越えている。とても強く孤独を知っているのだ。

わたしには、そういう人が必要なのだろう。


親を許す、親に感謝する。

そう諭すスピリチュアルカウンセラーにわたしはならない。なれない。

親を許せない、親に感謝出来ない、その気持ちを深く理解し、共有し、「いいえ、あなたは親を許すべきではない、親に感謝する必要はない!」そう言うかもしれない。

しかし、わたしのように歩まないように少しでも手助けをし、その葛藤や苦悩によって彼らの新しい道を見つける手伝いをしたい。


浄化が進めば(完璧になれば)結婚する、子供を産む、親子関係が良くなる、そう思い込んでいる狭い価値観に狭い世界に、うんざりし罪悪感を持たなくてもいい。

そのどこかの世界では完璧な役割や在り方意外の、わたしたちの役割、わたしたちの在り方があるから。

そんなものはないと言われたならば、それをわたしが創り出す。 

 
「親に感謝しろ、親を許せ、そうしなければ、病気になる。幸せに歯なれない。そうしなければ魂はクリアにはなれない」

これこそが魔の言葉ではないかと疑ってみても、わたしたちは良いのではないだろうか。

これは全ての人にとって、良い言葉、良い考え方として作用するのだろうか、むしろ、そう歩むことが出来なかった者には、鎮め諌めてきた怒りを爆発させる言葉にもなりかねない。

本当に、それをしなければ、わたしは前へ進まないのか。

親を許し、愛し、優しくしない自分を肯定することこそが、わたしたちの新しい道への第一歩なのではないか。

スピリチュアルな世界には、まやかしやからくりがたくさんある。

スピリチュアルのからくり、のからくり。わたしはそれを暴きたい。


わたしの道を間違っている、未熟だと言う人もいるだろう。

けれども、そう出来ない、そうしない今のわたしをわたしは肯定し、わたしが出来る仕事を続ける。


こういう学びを得たものは、きっと強い。強すぎるのだ。頑固なのだ。スピリチュアルな役割を持つのだ。(言いかえれば、現実的なことはちょいと無能で、スピリチュアルな世界の方が生きやすい。)

そして何より、魂の持つクセとして”罪悪感”との闘いがある。

 

わたしはいつも、何かが、ひどく出来ない。それはあなたといっしょ、いやそれ以下。

でも、出来ないことで学んで、霊的な仕事に生かす。

その生き方で、わたしはいい。

そう思えたら、きっと、もうあの我慢、あの悔しさ、あの罪悪感が原因で病気になることはないだろう。

わたしのことだから、また違う想いを抱えて苦悩が訪れるかもしれない。けれども、いずれ死を迎えるときまで、わたしは全ての苦悩の元をとってみせる。

その苦悩からたくさんのこと学び、その苦悩から抱きしめてもらう。強すぎて、誰も甘やかしてくれないから。

苦悩と葛藤が学びになり、そしてそれがあなたとのご縁になるのなら、苦悩はわたしを育て、きっと、あなたも輝かせる。

さあ、頑固者よ!強者よ!私のもとへいらっしゃい。

あなたがいま想い求めて満たされているその感謝は、自分を弱らせているかもしれない。穏やかになるようで力を奪われ、そして生きる気力さえ失っているかもしれない。

わたしたちにとって感謝とは、強い自分を起すことなのだ。

 

もう強くなれない、もう強くなりたくもない。そう思うわたしたちは何度もそこから這い上がる。

そうして強くなる自分に支えられ、わたしたちは深い自らの気付きに感動し、包まれる。

それが”わたし”という魂の終い方。

あなたの苦悩はいつも、”わたし”のその在り方を支えてくれるのだ。

 

たくさんの感謝をこめて、エネルギーワーク、もうすぐ始めるよ!

 

和美

 

 

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