宇宙規模の愛と包容力で癒す魂たち

 昨年、自分の病名を告げられてから入院するまでの間、わたしは一度も涙を流しませんでした。もちろん、抱えていた状況がそれどころではなかったということもありますが、泣くような哀しみをそこに感じることが出来なかった、というのがその理由です。

 抱えていた数名の親族の状況に加え、自分の病気。あまりの不憫さに代わりに泣いてくれた友達も、わたしのその少し高揚気味の話しぶりに『和美さんの感覚にまだついてゆけない』ともらし、その時自分の異様な至福感に気付かされたのです。

 異様な至福感は、病気を受け入れていない精神状態にもみえるけれど、”何故次から次へとこのようなことが起きるのだ!”と理不尽に思うこともありませんでした。むしろ、自分の身体を大切にしてこなかったのに(霊的な仕事に対する無防備さや過信も含めて)、この状態でとどめてもらったことに奇跡を感じたのです。まさに強烈な気付きを与えてもらっているんだなと。

 この時に想い出されたのが、約10年前に起きた人生をひっくり返されるような、わたしにとっての悲痛な連続トラブル事件でした。約半年の間に、これでもかというほどに次から次へと“問題”は起こり、そして、二度手間三度手間、誰からも理解されない、やろうとすることをことごとくシャットアウトされるという現象にくったくたになってしまいました。その頃未だスピリチュアルな生き方に対して無知であった私は、奈落の底からようやく脱出することが出来たものの、数か月の引きこもり生活となり、悶々として過ごしたのです。

 その時は、自分自身のことだけではなく、誰かを大きく巻き込むトラブルでしたので、その悲痛さや反省は、これまでの自分の人生がいかに幸せであり、自分が世間知らずだったのかを知らされ、それはそれは苦痛な大反省ものでした。しかし、今回の体験は、衝撃の質が違うのです。私の中があの時以上にうごめいたことでしたが、あの時と同じように“それまでの考え方や行動をひたすら反省し”改めることは求められていないと感じたのです。

 その事件を知っている悪友も、『和美ちゃんは事件があるたびにバージョンアップする』と言ってくれたものの、10年前の事件後の変革の時に自分でも感じた“わたしは変わった”という手応えなどどこにもなく、ただこれまでにない“静寂”が自分の中に生じた(戻った?)だけで、何も変わっていないようにも感じたのです。それは今現在のわたしの内なる変革を全く予期できない静けさに包まれて“霊的仕事”から遠ざかってゆくような感覚でした。

 話を戻しましょう。昨年自分の病気を知ったときの、その至高感とも言えるような異様な高揚した感覚は、痛みやあらゆる苦痛を麻痺させるかのようなふんわりした数か月でした。入院することは、手術をするためですが、わたしにとっては安らぎと解放と許しだったのです。『何もしなくて、いいんだ』と。

 今日ご紹介させていただくプチ霊視カルテは、入院した先で出逢った方のものです。

 彼女と話をしたとき、わたしは、病気を知ってから初めて、涙が出たのです。

 彼女の共感力は、ある種の希望です。

 ただ辛さや哀しみを共有する“労り”や“憐れみ”とは違うその共感力は、わたしのその時の“捨て去るべき感情”を気付かせ“これからの希望”を感じさせるのです。もちろん、自分で気付いていると想いこんでいた“これからの希望”を、彼女の共感力は、さらに強く感じさせてくれたのです。


 彼女の共感力は、向きあう者の“今”を“良き成果”と感じさせるとても前向きな共感力なのです。

 そして、さらにそこで気付きます。わたしが病気を告げられても泣かなかった理由は、今の自分の状況、それまで抱えてきた状況を、哀れで被害者のような自分だと感じたくなかったからだと。わたしは前向きに、スピリチュアルな野心を持ってその病気と言う状況を自ら掴んだと強く認識し内なる作業に専念したかったのです。それが、病気になった意味であると確信したかったのです。それを誰かの同情で、哀れみで、挫けた自分だとは、一瞬でさえもさせたくはなく、大きな気付きだと確定させようとしていたのだと思うのです。

 それを、彼女の優しい抱擁と自信に満ちたオーラと、魂の確かな経験値という智慧で、すとんと腹に落とし込むことが出来たのです。霊視カルテを望まれたのも、『何もしなくて、いいんだ』と想う私に『もう違うことも出来るよ』と教えてくれたようでした。

 自分を愛し自分を癒すことが出来る魂が、他を愛し他を癒せる。彼女の魂はそれを象徴し続けている存在です。険しい道にめげそうになりながらも、懸命に歩んでいる魂を明るく光として応援している人なのです。

 仕事を通して共に歩んでいると毎日のように感じているセミナー参加者のみなさん、そして、わたしを生かしてくれるカウンセリングのお客様に対してもずっと感じている想いでもあるのですが、あの病院で関わったすべての人たち、わたしの学びの際に関わりサポートしてくれている人たちにも、わたしの残りの人生をかけて、自分が知り得る神聖なる霊力を借りて、いろんな形でお返ししてゆこうと思っております。

 わたしは、どんなことが起きても(これから起きようとも)わたしの生き方を諦めることが出来ません。あなたも、自分を諦めるなんて、出来ないのです。

 彼女の魂、つまり、『宇宙規模の愛と包容力で癒す魂』のカルテを共有させていただき、一緒に導きをいただきましょう!

 彼女には、このカルテを他の魂に共有させていただき、ご本人の浄化覚醒を促すことでお礼とさせていただきます。

 ありがとうございます。そして、今後ともどうぞよろしくお願い致します!

 


 

 


霊視カルテ

 

≪魂の性質≫

 鋭い感覚で多方面からものごとを観察し、自分の世界でそれを分析し、自分の個性が最大限生かされるよう動き回ります。頭が良く記憶力はずば抜けています。

 自分を愛し、自分を癒し、多くの愛を受け取ることで、自分を愛せない人たちの見本となり、嫌味なく幸せや運の良さを見せつける役割を果たします。

 非常に秀でた能力を持ちますが、それを誇示することはなく、権力や能力で人を判断し差別することはなく、富者・強者の弱さや貧しさを想いやり、貧者・弱者の強さや豊かさに感動します。

  一生“現役”で次々に役割や仕事を引き寄せ活躍します。

 人に尽くしますが、尽くすという犠牲的な意識はなく、楽しく自分を生かすことが結果的に奉仕となる魂です。

 

 

≪魂のクセ≫

 とてもクリアな魂ですので、比較的クセは生じにくいのですが、有能さゆえに思考と行動が先走ることがあり、周りがついてゆけずに、時々理解してもらえない(『グッドアイデアなのに!!』)と感じたり、人々が問題と感じない小さなことにこだわり、周りが大きな問題を改善しようとしていないことに、怒りではなく淋しさや孤独感を感じてしまいます。

 しかし、このクセによって新しい役割や仕事に興味が移行し、また導かれることになるでしょう。

 


≪今世のテーマ≫

  まさに死ぬ瞬間まで自分の能力・知性を生かし、仕事をすること、今世のエネルギーを残すことなく全て使い果たすこと。

  宇宙規模の視野で考え、関わり、より多くの人たちに宇宙規模の愛を与え続ける人生を求め続けること。

  個人規模の視野で考え、関わり、個人的な関わりにとどめようとすれば、それは何故か休むことにならず、疲れてしまいます。

   宇宙規模の愛を持っていることを感じることが出来れば、あなたのストレスや疲れは存在していないことに気付きます。その為にはより多くの他人様と関わり続けることが必要となるでしょう。

 

椋木和美

 

 

  • 2017年01月29日 21:36 / Comment(0)

コメントありがとうございます

  • コメントはまだありません。

コメントはこちらのフォームからお願いします。

登録フォーム
お名前
Mail
URL
絵文字
コメント
投稿キー(スパム対策に、投稿キー を半角で入力してください。)
閲覧制限

PAGE TOP