ひきこもりのイメージを変えてみませんか?~家系の問題を今までとは違う方法で終わらせよう~

たとえ48年間ひきこもっていた人間だって、誰よりも至極まともで、強いことだってあるのです。

きっかけは自分の変わり者の性格が引き起こしたひきこもりであっても、その過酷な生活に耐え、怒り狂う感情を抑圧し続け、その中での幸福を探し、生きる術を磨いてゆくことだってあるのです。

それは外の世界からは想像も出来ないほどの過酷さであり、滑稽さを含む生き方。

けれども、何故か繁栄よりもそれに心惹かれ、わたしはやっぱりこっち側の人間だと思わせてくれる安堵感を持たせてくれる。

外部の人から見れば異様な人間に見えるであろう出で立ちの、愛嬌あるキャラクターに、そこまで仕上がったいきさつを聞きたくもなる。

わたしがその出で立ちを可哀想だと思わないのは、その生き方を本人が恥だとは一切思わず信念を持ち生きてきたから。

何も正しく見ようとしない人たちが彼らを異常な人間だと決めつけ対応し、それまで抑えていたまともな人たちを逆上させ、やはり異常な人間だと仕立て上げてゆくことがあるのです。

彼らは無欲で、みすぼらしく、そして、生真面目で短気で勝気でどこか陽気。

生きる力があるからこそ、その試練や過酷な生活を楽しむ方法を見つけながら、みすぼらしく虐げられている様子をあえて身綺麗にすることなく、諸悪の根源である一番の問題児である人間たちに見せつけることで、彼らを攻め立てて(修正させようとして)いるのです。

真の問題児たちのように、欲にまみれ、世間体ばかり気にし、そのためになら嘘も平気でつき、それを嘘だと思わぬ正当性を都合よく持ち、人の不幸を喜び、ハイエナのように執念深く生きる生き様を、問題児とされてきた彼らは、その過酷な生活をストイックに耐えることであざ笑うのです。

ひきこもる彼こそが家系の問題を全て吸収する強き役割を背負ったものであり、彼はその人生をかけて家系の問題児たちを内面で冷静に見極めあざ笑うことで深刻化を避けている。その長きにわたる孤独や誤解にも狂気を生まず、死にたくはないが死をも覚悟できるのです。なんですか、これ?この真実をわたしにどう伝えるべきだと言うのだろうか。

問題児だとされてきたひきこもりの人間へ、真の理解と信頼と称賛と感謝と敬意をご褒美とさせて、一番の問題児の屈辱的な最期を見届ける。これこそが、わたしが長年悩み煩わしく思いながらも好んで関わり学んできた家系の問題の、わたしが見つけた清々しい気持ちになる締めくくり方であり役割の果たし方。

諸悪の根源であるものが大きな救いと手助けを必要とする状況に、一切騙されてはならない。
そこに手を差し伸べている間に、家系の問題を浄化させるために貢献してきた引きこもりのものが追い詰められ誰にも理解されなまま真の孤独に陥ってしまうかもしれない。

本当に手を差し伸べ手助けすべきは、諸悪の根源と闘ってきたものなのです。

悲惨な状況に騙され感傷的になって、迷い、許し、手を必要以上に差し伸べるべきではない。諸悪の根源には、怒り、恨まれ、嫌われることをし、冷たく処理しよう。
悲惨な状況にさせたのは、諸悪の根源の自業自得、自滅の道のせいなのだから。それは諸悪の根源の浄化浄霊の道なのだ。

所詮諸悪の根源にとっては、どんなに優しくし、喜ぶことをし、愛で接しても、自分たち以外は全て悪魔であり、単なる金づるであり、召使にしかならない馬鹿どもに過ぎないのだ。

のうのうとのさばる奴らを、今こそ一刀両断、死に様を見届けてやろうではないか。彼らの中に巣食ってきた毒や悪や弱さがうじ虫のように暴れてうごめくのを、同情することも目を逸らすことも顔をしかめることも一切なく、腕くみしながらこの目でしかと見届けてやる。


あなたにも、そんな役目はございませんか?その怒り、その冷たさ、それは私から見れは、正常正解。

わたしが発している憎悪や怒りや冷たさを、周りはまた見間違って、優しさや愛や情や使命感、正義感と見る。わたしはそのような称賛や同情はいらない。

よくわたしを見て欲しい。微笑みながら、精一杯奔走しながら、諸悪の根源を手助けしながらも、悪霊を根こそぎいたぶり殺してやる気なのだ。その想いを賛同してくれる方が同情や称賛よりも余程いい。

この世の中にはびこる、正常を装った異常なものたちに、のみこまれてなるものか。

 

和美

 

  • 2016年04月02日 20:55 / Comment(0)

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