【質問】わたしは、なぜ、浄化が進まないのでしょうか?

ご依頼いただいた【お返事レター】を共有させていただきます。

 

わたしも、これまで、浄化を深く求めながら進まないと嘆く方々と関わってきた経験から、このメッセージをおろしながら、深く共有させていただきました。

浄化を求めながら、滞る…。その理由は個人個人違います。ですから、浄化で滞りが出た時には、ひたすら浄化の言葉を唱えるよりも、個人的なアドバイスを受けた方が、浄化を自ら止めている理由に気付き、早く進む場合があります。個人的なアドバイスに依存することさえなければ、浄化の言葉にすがりながら苦しさを増すことはなくなります。

 

ご提供者の方の浄化を加速させ、同じ学びのある方と是非一緒に浄化を促したいと思います。

この方のご質問を読むだけで、浄化しようと日々頑張っている魂なら、深く共感し、癒されそうです。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ご質問メール

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いままで、二度ほどレターをいただき読み返しています。どちらも心に深く感じるものがありました。でも浄化は進んでいません。何を間違えているのでしょうか?

私は不安性です。本などでいろんな知識は入っていますが、役に立ちません。
深い不安に夜は震えて、日中は人を恐れ、未来に待つ不幸を想像します。でも自分が家族に必要とされ、恵まれた生活を送れていることも知っています。幸せなはずなのに、、我侭だとも思うのです。でも苦しい。
最近は私が関わることで、子どもの未来をゆがめてるのでは?私がダメなのは母のせい?主人のせい?うつになるのではと思いがちです。

でも一番わからないのは、こんなも不安なのに、あるきっかけでふと、何とかなるわと明るい気分になれてしまうことです。もちろん長くは続きませんが。見えない光の力を感じられ穏やかなやさしい気持ちに満たされて、ああ生まれてきてよかったと。がんばって少しずつ魂を浄化していこう。ありがとうと思うのです。こころから。
そんな上がったり、下がったりの精神状態にいると、本当の自分なんてどこにもいなくて、ただ悩んでみたり、苦しんでみたり、たまに癒されたような気を味わったりする、がんばってる人生を演技している自分がいるのでは疑ってしまいます。気がつくとあれこれ思考が頭をしめ、自分の感情をそのまま感じようとしても、その感情にさえ自信がありません。私はこんなのでいいのでしょうか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お返事レター

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

完成された自分の姿を見るが怖いのでしょう。

今は、悩み苦しむことにより、その反動で自分の幸せを強く感じられます。

しかし、もしも、自分の意識ひとつで悩み苦しむことから解放されれば、自分が、今ある恵まれた環境に感謝が出来るかが、不安で怖いのです。

あなたは、今、浄化を拒絶しています。

あなたにとって、浄化されるということは 自分に悩み苦しむようなものがない…と気が付くことです。今の状況に、満足し、感謝し、幸福感を得ることです。

それは、あなたの意識ひとつで、いとも簡単にできます。

あなたはそれに、気が付いているのです。

潜在意識でこのことに気が付いているあなたは、もし、浄化が進み、いま、感謝と幸福感を得ることができたら…、きっと自分は、そこから先に何か新しい目的や、目標、夢を持ち、自己実現を果たしながら、人に尽くしたり、人を癒したりすべきだろうと思うのです。

あなたにとって、それは、大きな役割を引き受ける重荷であり、今の悩み苦しみをはるかに超える重圧なのです。

何故でしょう?
何故あなたは、浄化すれば、大きな役割を果たさなくてはならないと思ってしまうのでしょうか?
それは、そもそも、浄化の意味を取り違えているせいでしょう。

浄化とは、
”あなたにとって” 幸せを感じる位置に身を移し、
”あなたにとっての” 幸福感を得ることであり、
”あなたにとっての” 完璧です。

ご立派な誰かのようにならなくてはならないのではないのです。
世の中の多くの人たちが”ご立派だ!”と評価される人物にならなくてもいいのです。

あなたは浄化によって、
スゴイ仕事をしたり、完璧な母親となり、完璧な妻となり、完璧な女性になることで完全なあなたの結果を出さなくてはならないと思い込んでいます。

あなたが、気楽に過ごしたいならば、
気楽に過ごせることを喜びと感じ、
気楽に過ごしている自分を完璧だと思え、
気楽に過ごしている自分を周りから愛されていると感じることです。
そういう自分を許せない人は、わたしにとって必要のない人だと感じられることでしょう。

あなたは、ありのままで良いのです。
心配性でも、あなたは愛されている。必要とされている。そんな自分が実は愛しい。

もう、そうは思っていませんか?

あなたは、すでに浄化しているけれど、それを認めていないだけ。
あなたが認めれば、浄化しているあなたがそこにいる。

その不確かな、けれども、自分でしか感じることが出来ない感覚を、あなたはもう掴んでいるのです。

あなたが、【浄化】=【完璧な結果を出す自分】=【ご立派な人間、ご立派な人生】
と思い込んでいる限り、あなたは、そうでない周りのに人たちをも 浄化されていない人、完璧でない人と、ずっと淋しくみつめるでしょう。

それを見ている自分が、浄化されてないのだろうと、自分を戒めるでしょう。

そう思うことがあなたの安心なのだから。

あなたは、浄化しています。
あとはそれを認められるかです。

浄化とは、”わたしが感じる心地よさ”=”ありのままの自分”を肯定することです。

誰かにとって、○○できない自分を感じ続けたことが、浄化を始めた動機だとすれば
それは、○○できるようになる自分になることが浄化の結果ではなく、○○しない自分が自分らしさであり、自分そのものだ!と肯定できることが、浄化された結果得られることもあるのです。それは、人によります。

では、もし、この話をあなたが信じたくないとすれば?

それは、どうしてもあなたが、
完璧な妻をこなせる自分であり、
完璧な母をこなせる自分であり、
完璧な女性である人生を実現したいのです。

けれど、そうしない私が時々いても、何も不満を言ってこない家族や周りに、あなたは不満があるのです。

そうだとすれば、浄化のためにやることはただ一つ、
悩むほどの暇を持て余している自分を、恵まれ過ぎているがゆえに悩んでいると気付くべきです。

あなたが、同じところに滞っていると感じないためにやることは、あなたが自分自身を奮い立たせることしか他に道は、ないのです。
浄化が進んでいると信じて動くしかないのです。

あなたは、その叱咤激励を、浄化により誰かの口から吐き出されないか期待しているのかもしれません。

 

椋木和美

  • 2013年07月16日 19:30 /

PAGE TOP