小林正観エピソード③~事件への流れ~

~頼まれごとをひたすら引き受ける~
 
波乱の幕開け。
うたしショップの方からのお話はこうだった。

「正観さん 体調も少し良くなってね・・・。
でもね、今回 いつも手伝ってくれる皆さんが揃って都合が悪いのよ~!」

そうだろう・・・。内心そう思った。
手伝ってくれなくなった経緯を 私は知っている。 
 

(ここから続き)
講演会を手伝っている人たちの様々な不満や悩みを聞いてきた。
熱心に本を読んでいるがゆえに ”頼まれごとは引き受ける”
の正観さんの教えに囚われ、主催者側の横柄な態度に我慢し続けた。
お手伝いという良いことをしているのにそれを喜べないより、
自分の感情を優先し断ることは とても良い事だと思いました。
 
今回は、自分の感情を優先させたんだ!

そう思いながら 主催者さんに 私も正観さんのお手伝いはやめて、
今のお仕事の方に専念することをお伝えした。この瞬間断る気満々
だったのを今でも覚えている。 
 
しかし、この方の話はとりあえず聞いた。押しの強さはすごい。
翌日に自分が講演会あるから忙しく
できれば主催でやって欲しく、 
無理なら当日のお手伝いだけでも・・・ 
 
ここでわたくし 人生最大のミスを犯します。 
 
この上手い懇願に 気持にスキが出来、決意もゆるみ
”今回を最後にして 手伝おっか・・・”と思ってしまったのです。

その言い訳として 今回手伝いを断った方は 主催者さんに断ることや
意見をはっきりいうことが出来なかった人達。しかし、私は、ハッキリ言う
人にはハッキリ言い返されるという自負があったのです。嫌なことには
巻き込まれませんよ、そうはいきませんよ という自負でした。 
  
今思うと、この自負は 決意を覆した言い訳にもならず 実に情けない。 
自分の意志を簡単に曲げ 引き受けてしまったのです。
 
  
今回の私は 今までと違い 浮かれる感じもなく冷静だと思いつつ準備をしていると 
今度は隣町のうたしショップの方から連絡がありました。 
 
正観さんから連絡があって、いついつ隣町に講演会で行きますが、
次の日、そちらで講演会はどうですか??と提案があったのというのです。 
正観さんからこういう連絡は珍しいんだと・・・
私も隣町のうたしショップの方も、最後に伝えたいことがあるのかしらね
なんて悠長に話していましたら、その連絡をもらった流れで
じゃぁ、こちらもお手伝いを、ということになってしまいました。 
 
これが最後と思ったら こんな流れ。私は気が済むまでやりたいんだろう・・・
一度決意が弛んでしまったら・・・ あとは野とな山となれ。
そこから、頼まれごとの総攻撃。 

いつも正観さんを送迎している男性が都合が悪い。
主催者は「私は翌日お見送りも出来ない、隣町も行くんだったら、
昼からの付き添いと 送迎をお願いしたい・・・」と。
 
そして迎えた講演会1日目、
正観さんは、体調がすこぶる悪く、講演会も大丈夫なのかと
いうように講演会直前までバタバタしていました。 
すると今度は私が、明日の送迎の車の件で呼び出されました。 
この体調のせいで、普通の車には乗れない、ベンツクラスの高級車でないと
振動が堪える・・・
 
この辺りから、これは大変だ・・・若干のわがままも気になりましたが
明日の移動が一人では何となしに不安になり、高級車をのってる方に連絡をとったり、
運転手の確保に奔走。
  
この準備をしているときに正観さんに状況を説明していると
「なんでも してくれそうな 顔をしていますねぇ・・・」 
ほとんど目は見えないと言っていたけれど・・・。でも、この言葉を言ってもらって、
何とかしてあげようと思わないわけはない。うまいなぁ・・・。
 
  
そこからなかなか正観さんからオッケーが出なかったのですが、何とか条件を
クリアできた車を運転手ごと探すことが出来ました。

そんな安堵も束の間。一夜明けてビックリ ここらでは今季はじめてとなる
大雪になったのです・・・。
手配した外車はノーマルタイヤ、私の車はスタッドレスタイヤ。
あっさり外車の方は帰され、私の車での送迎となり、私の車を貸すことになっていた
お友達と3人での移動となりました。
 
 
問題もなく隣町につき、主催者さんにホテルで待ち合わせ。
無事着いたことにロビーで安堵していると今度は、部屋まで案内していた主催者さんが 
少し困り顔で降りてきた。「ムクノキさん、マッサージしてくれない?」
「は?」
「正観さんが身体がしんどいから マッサージしてって言うんだけど
わたし、マッサージは出来ない」

そういえば、前日もマッサージのおねだりがあったと聞いたような・・・。
そんなに体調悪くて 講演会は大丈夫か?
 
あぁ~、もうこうなったら何でもいいや、わかりました やりますよ。
と答えて主催者と部屋に向かいました。 
ここで倒れてもらっては困るという思いも強く、主催者さんも何とか無事に
次の講演会のある場所へ送り出さないとと思っていました。
部屋にあがり、マッサージをはじめ、先日お風呂を張ってあげていたのを
みていたので、持参した入浴剤も入れてあげた。
そして、うたしショップの腹巻を差し上げた。
終始 正観さんは横たわったまま 腹巻もつけてくれと。 
 
なんで、ここまでしたか・・・ 
 
前日から正観さんはずーーっと ずーーっと
「寒い、寒い、寒い、寒い・・・・・」と言いっぱなしだったのだ。
これがものすごく気になった。それは、少々不満を言いいすぎではないかということと
迎えた側も言わせないような配慮をしていないことが 気になったのだ。
 
正直この体調なら この悪寒は予想がつくだろう 誰か何か用意してあげれば良いのに、
目が見えないなら お付きの人がいるべきじゃないのか?そもそもなんで、
こんなに体調が悪いのにまわるんだ!と疑問もまじりながら。
 
ここまでくると、だんだん開き直ってくる。
それを率直に正観さんに聞いてみました。
氷のように冷たい 正観さんの身体をマッサージしながら・・・
「もう、執筆活動に専念されてもいいんじゃあないですか?ここまでして、周られる理由はなんなんですか?」
こんな体調なら執筆活動だけになっても皆納得するだろう。
そうすると 正観さんはうつぶせにマッサージされながら こう言った。 
 
「ご恩返しの 行脚でまわっています」と。 
 

ご恩返し・・・そうなのか。家族は心配で一緒にいたいだろうに・・・。

隣町の講演会準備も のっけからこんな様子で 周りの方は正観さんの体調の悪さを
怖がり 様子のわかる私が付き添った方がいいと 準備にまわりました。
 
そして、いよいよ お待ちかねの講演会。
隣町でも初めての3時間講演。主催者側もお客様もこの3時間講演を喜んでいましたが
正観さんは、宿泊先と講演会のホテルが同じ場所に出来なかったこと、
なぜ3時間講演にしたのかと 主催者に講演会直前に苦言を呈していました。
ここまでお世話してて、経緯も聞いてあげず文句かぁ・・・。3時間が嫌なら受けたときに
言えばいいのに・・・とそんな場面をみて少々寂しいなと思い。
いや、そんなことはいい。今日が終われば全ては終わる。 もうすぐ終わる!
  
そして3時間講演が いよいよ始まったのです。 
 

続く・・・
 

  • 2011年11月04日 23:45 / Comment(4)

コメントありがとうございます

ピーパー

正観さんの教えで「不平不満は言えば言うほど体調が悪くなるし、精神も病むし、人間関係も悪くなるから言わない方が得」とか「体の調子が悪いなどのキツイ状況の中で、どれだけ笑顔で平静を保っていられるかが、その人間の価値を決める」と言った感じの教えがありました。このお話を聞いていると、正観さんは自分の教えを守れていません。

やはり病気のせいなのでしょうか…そうであって欲しいのですが…。だとしたら、病気とは恐ろしいものですね…。高橋信次さんの教えを拝借させて頂くと、「不調和な想念は、不調和な霊を引きつけ、憑依され、更に不調和な想念へと引きずり込まれてしまう。そのためにも、人間の側が自分の想念を常に反省し、明るく謙虚で愛に満ちた想念を保たなければならない。増上慢であったり不平不満に満ちた想念だと、その人の守護霊もその人を助ける事が出来ない」というのがありましたが、病気なのに無理をして、不調和な想念を引き出してしまったのは、正観さんの責任ですよね…お釈迦様の教えでも「片寄った無理をした行動(極端な肉体行など)は、心に曇りを作るから良くない」というのがありましたが、この時の正観さんはこれにあたるような気がしました……。

あと「主催者側の大柄な態度」というのに、とても残念さを感じました。正観さんに関わる人でもそんな人がいるんですね…。「偉大な正観さんに関わっている」という、自負心(増上慢)の表れなのでしょうか…精神世界を追求したり、悟りというものを目指している人が、ある意味「とんでもない勘違い」を起こしてしまった証でしょう…。正観さんの教えの中に、何度「謙虚さが大事」と書いてある事でしょうか…。

今改めて思ったのは「謙虚さを保てない人間は精神世界を真に理解しているとは言えないし、また天性の素質として、精神世界や悟りというものに向いていない人」だと思いました。一個前のブログで、KAZUMIさんが正観さんの教えの解釈についていろいろな人から質問される、というものがありましたが、私からすると、あの本の内容は、受け止めた人が自分の内なる心の中で勝手に解釈し消化するものだと思うため、他人に意見を求めている事自体、「自分には教えを消化する力がない」と言っているのと同じだと思うため、そういう人はそういう人の心の世界でこの世を見、生きていけばいいだけの話で、無理して正観さんのお話に自分を合わせたり、背伸びをして自分を変形させる必要などなく、そこで無理して背伸びをしたりして、自分に向いてない事をするから、勘違いを起こして大柄な態度を取ってしまうのではないか―――……そんな事を思いました……。

  • 2011年11月05日 02:16:00

Kazumi

ピーパーさん、いつも ありがとうございます。
 
「主催者側の横柄な態度」というのには、少し違った側面から
のお話も書くつもりです。全ての人に愛すべきところがあり、
困ったとこもあり(笑)、何をもって横柄な態度とするのか・・・
色々感じてきました。謙虚さの解釈も非常に難しいなと。 
 
そして、私を含め殆どの方が自分が精神世界や悟りというものに
向いているかどうか、わからないようです。踏み込んでみて、
実践してみて それでもまだ、わからなかったりする。
私に質問しに来る方は、ピーパーさんがおっしゃる意味を理解
したくても出来ない、自分を教えに合わせていっているなど
考えも及ばないのです。困惑し ”じゃあ、私はどうすればいい
のか?”となるでしょう。私も質問がくることなど予想も
していませんでした。 
 
そうなると、向き不向きがあることを認識できず
やみくもにすすめた私はどう責任をとるか・・・それで、お互いのため
と一切の相談事を断った時期もあります。聞く場所がなければいい
という[苦笑い]・・・極端でしょ。 
 
あらゆる癒しの方法には、そういう詳しく説明されていない
領域のものが奥深くあることをいつも感じます。
脱落される方を承知で 教えは存在するのでしょう。
そうだとすれば、その中で他人のために どうあがいても
無駄なのかもしれません。私はそれを知るために こういう立場
で学ばされたかもしれません。
 
いつも お付き合い頂き、感謝です。

  • 2011年11月05日 15:30:00

スカイブルー

こんにちは。

わたしもあるかたの精神論を実践し、
最初はとてもうまく行っている気がしました。

でもある日、疲れてしまっている自分に気づきました。
目の前の人を大切にする。
それを一生懸命実践するうちに、自分を大切にすることを忘れたみたいです。
そして、辛いときも弱音をはかないことを頑張ることで
自分の気持ちを無視するようになり、こころが悲鳴を上げていたような気がしました

当時それでも精神論を実施さえすれば幸せになれると思い込んでいたのですが、
本当のわたしは知っていたのでしょうか。本屋に行った時に偶然手に取った本、
本田健さんのユダヤ人大富豪の教えふたたびアメリカ編が
いまの自分の常態の謎を解いてくれました。
人間関係や感情について書いた本でしたが、
わたしは、プラス思考に行きすぎてマイナス感情を感じなくして逃げているだけ。そして行きすぎることで逆に周りの人の気持ちを感じれなくなっていたのだと。

そして友人にも言われました。周りのために頑張ることで自分自身を苦しめ、本来のわたしではいなくなってると。

精神論も、すごくマイナスに陥っているときは助けになるかもしれません。
でもそこを通りすぎ行きすぎることで、バランスが取れず、その歪みが体やこころに出る場合もあるのでは!?と思います。

何を取り入れていくかは、自分との対話から始まるような気がするのです。

すべては自分。なにもしなくても素晴らしい人間ではなくても、そんな自分を愛する。そこからすべて始まる気がするんです。なんて、偉そうに言えるわたしではありませんが[笑い]

  • 2011年11月05日 16:35:00

非公開

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  • 2011年11月05日 22:47:00

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