小林正観さん 逝去

小林正観さんが 昨日の朝 長野県松本市でお亡くなりになられたそうです。
 
私にとっては 良きことも、悪しきことも、教えてくださった方です。
 
霊的な世界からみて、このような活動をしている方は、大変大きな 
依存と 批判と 賞賛と・・・
多くのものを背負うことになり、そして跳ね返さなくてはならないようです。
  
私が最後に正観さんに お会いしたとき、広い部屋にぽつんと座っている正観さんは
近くまで行っても まるで誰もいないような薄気味悪さが漂っていました。
その代わり、人間ではないものが そこにいるような、なんとも言えない 寒気のようなものを感じるのです。
あの時、正観さんに起きていることが 少し分かった気がしました。 
  
何かに身体を乗っ取られ 一度危篤状態になった身体を無理やり動かされて
いるのではないかと思うほど その状態は不自然でした。
  
まるで 死んだ人の身体が動いているような 生きているのが不思議なような  
  
背後のものが大きくなりすぎ、力を持ちすぎ、その支配している背後のものに動かされ、
正観さんは 私に対し、良からぬことをしてきたのでしょうか。 それは 決して弱った方が
するようなことではありませんでした。
   
正観さんが このように時々よからぬ行動をしていたことも、関係者は知っていたようです。
すっかり弱った正観さんを よく捉えようとし、見てみぬふり、許すということへ 状況が動いていました。
  
これらを見たとき、私は確信します。 
これから、誰かを崇拝し、頼り、新しく語ってくれる言葉を待ち続ける・・・という自分を完全に
捨てていかなければならなくなるのだと。それは、とても 急がなくてはならないのだと。
  
正観さんの 功績は 讃えられるにふさわしいものです。
  
しかし、私は 正観さんの弱さと醜さとふてぶてしさと寂しさを みせてもらいました。
これぞ人間である証拠、になるかもしれませんが、それに触れるということは、
何を信じていいのか 誰を信じていいのか分からないという 人をうつ状態にさせるほどの
底知れぬ パワーなのです。
  
ここに 来るなと 真の正観さんは訴えてくれたのかもしれません。
 
いいえ、そう 訴えてくれたのは 私の守護霊様かもしれません。  
 
この経験は、私に 多くの気付きを与えてくれました。
自分の力と自分の考えを信じることしか 道は無いのだと。 
はやく それを思い出せ!というメッセージ。
  
私は、正観さんが投げかけてくれたことで気づいた真理を 私に関わる人たちに
伝えることになるのでしょう。それが正観さんが私へ、何かを繋げてくれたとに対する
私のご恩返しの行動です。実践です。ご縁を頂いたことで 私の学びは加速しました。
   
 
正観さん 心より、ご冥福を祈っております。
  
ありがとう ありがとう ありがとう。  

  • 2011年10月13日 00:23 / Comment(7)

コメントありがとうございます

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  • 2011年10月18日 08:04:00

投稿がうまくできない

はじめまして
数年前に正観さんの本を偶然手に取り、その時の自分を救ってもらったと思っています。紹介した人
の事も救ってくれました。
一度講演会に行きましたが、あまりの骨と皮な体でフラフラと歩く様子に心配になり、会場の「何にでも大ウケ」の雰囲気が合わずその後は本を読むだけでした。
たまたま調べて数ヶ月前にこちらでご逝去を知りました。
彼の話、ショックでした。最初は信じられず、批判的な気持ちや苛立ちがありました。
でもkazumiさんの言葉を読んでいくうち自分の弱さに気づきました。自分のトラウマは本当に沢山あるのですが、言葉に傷ついた自分を癒す言葉を常に求めてました。
人の言葉や批判的エネルギーを受け取りすぎるせいで傷ついて、それを長い時間かけて乗り越えようとしているけど、そもそもエネルギーを相手に与えすぎていた事。正観さんの言葉に癒された事で正観さんの全てを崇めて自分に影響を与えられる階級に自分が祭り上げていたのです。
作り上げた巨像は、自分を小さくする事で巨像となっていた虚像でした。
勇気ある発言、ありがとうございました。
相手も人間。私も人間。自分を卑下しすぎてエネルギーが枯渇していた図がみえました。
気づかせていただきました。
今年のウチぎりぎりにわずかでも前に歩けた気持ちです。

  • 2011年12月31日 22:34:00

kazumi

投稿がうまくできないさんへ
はじめまして。コメントありがとうございます。
コメントを読み終えて「なんだか私みたい・・・」とつぶやいてしまい
ました。隣にいた人も頷くくらい私はあなたにとても似ている
と思います。経験を共有できたことに感謝しています。
私は自分の弱さに対する恐怖心が大きければ大きいほど、気付ける
ことも大きいのではないかと考えるようになれました。
言葉に傷ついた私たちは、自分の力で自分を癒したいことに気が
ついたのかもしれませんね。私にも大きな勇気をありがとうございます。

  • 2012年01月04日 01:19:00

投稿がうまくできない

kazumiさん

コメントの返信ありがとうございます。
kazumiさんはもうこの記事を書いた時より随分と先へ進んでますね。
新しい記事を読みました。
勝手にエール送ります。

大丈夫!実のなっている木を探すのをやめて、あなたはもうすでに自分の木を自分の力で育てています。そしてそれはすくすく育っています。

「似ている」と言われてとても嬉しかった

自分で取り入れた大きく重いものは自分で取り除かなくてはと思っていながら、それを取りさったあとの随分かさの減った心が頼りなく心細くて、また落ち着く言葉を探したい気持ちの時に新しい記事を読んではっとしました。

私も自分を信じて自分の木を育てます。
そしてkazumiさんとは
「自分は自分の信じる木を育てる。そしてあの人があの人の木を育てているのを信じている。お互いに相手が自分の木を育てているのだと信じている」そんな同志でいたいなと思いました。

  • 2012年01月06日 19:34:00

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  • 2012年01月07日 22:22:00

kazumi

投稿がうまくできない様
素敵なエールをありがとうございます!
やっぱり あなたはわたし。
 
古くからのお仲間のようで言葉が心に魂に響きます。素敵な
表現です。ブログしていらっしゃったら教えてくださいね[ハート]

  • 2012年01月08日 18:22:00

朝倉次郎

初めまして。
小林正観さんについて、次の疑問があります。

正観さんの書物やお話を聞くととてもいい話が多いのですが、
何かひとつしっくり入ってこない自分がいます。

そしていい話を聞いている人たち、または正観さんを応援、共感している
人たちに魅力を感じないのです。

本当に素晴らしい人は目立たないと言われているので、その面では正観さんは
あてはまるかも知れません。

私が持つ大きな疑問は、いい話を聞いている人たちが魅力的に見えないことです。
kazumiさんのご意見も聞かせていただければ嬉しいです。

  • Mail
  • 2014年04月30日 06:12:02

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